アニメ、マンガの独り言

好きなアニメや漫画の話なんかをだらだらと。

アニメ脚本家「岸本卓」さんについて

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アニメの脚本家と言えば「魔法少女まどか☆マギカ」や「Fate/Zero」の虚淵玄さん、「とらドラ!」や「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」の岡田麿里さん、「シュタインズ・ゲート」や「響け!ユーフォニアム」の花田十輝さんなど有名な方はいっぱいいますが、私はあえて「岸本卓」さんを推したい!と思います。

 

岸本さんの脚本作品

近年はかなりお忙しいので有名にはなりましたが誰だ岸本とは?と言う人もいると思うので脚本で参加した作品をご紹介。

テレビアニメ

OVA

岸本さんのwikipediaを引用

このラインナップを見てわかるように岸本作品は面白いアニメが多いです。

 

私が岸本さんを好きになった理由

私が岸本さんを初めて知ったのは昔音泉で日本放送の吉田さんがやっていた「ノイタミナラジオ」にうさぎドロップの脚本家としてゲスト出演した時でした。

もちろんうさぎドロップが初脚本作品だったので吉田さん含めリスナーも誰だお前と思ったと思いますが、そのラジオで岸本さんが脚本家を目指すまでの人生を聞くとかなりハチャメチャで面白かったので覚えている限りまとめてみます

 

岸本さんの経歴

大学時代に印刷された2chこと「サイゾー」にはまる。

千葉大学大学院にて哲学を学ぶ。

→卒業を控えていた頃、就職を「サイゾー」一本に考えていたが募集すらしていないので当時千葉大学の教授永井均講談社を紹介してもらい、アルバイトとして入社。

講談社池上彰の本の制作に携わり、あとがきに岸本さんの名前を書いてもらってその本をサイゾーの編集長に「この本は僕が作りました。(お手伝い程度)」と送り付ける。

→それに興味を持ってくれたのかサイゾーの編集長とアポが取れて「タダでもいいから働かせてくれ」と懇願し、なんとかサイゾーに入社。

→ちゃんとお金がもらえるくらいには仕事をこなしていた頃、サイゾーが出入り禁止になっているジブリに取材に行ってこいと命じられる。

→色んな人脈を生かしなんとか鈴木敏夫のメールアドレスを入手、初めはお断りだったが岸本さんの熱意に折れて取材の承諾を得る。

→取材の際ガチで鈴木敏夫とやり合った事が気に入られたのか「お前うちに来ないか?」とジブリに誘われるが興味がないと断る

サイゾーでの仕事が忙し過ぎて彼女に振られ、会いたい人にも取材で片っ端から会ってしまっていたのでサイゾーを辞める事に。

→最後に何度か取材でお世話になったので鈴木敏夫に取材がてら挨拶に行った際、「高畑勲監督でかぐや姫と言う企画が動いている。手伝ってくれないか?」と誘われ、興味がわきますがよくわからないプライドが邪魔をして断る。

→帰りの電車で「もったいない事したかなぁ」と思い始め、電車から降り「やっぱやらせてください」と鈴木に電話を入れる。

→なんだかんだで高畑勲の助手としてジブリに入社するが高畑勲から「かぐや姫という企画は良いとは言ったが私がやるとは言ってない」と爆弾発言をされ途方にくれる。

→なんとか高畑勲の助手を続けていた頃、社内で気になる女性を発見。
ですがなかなか相手にされず追いまわしてみたり社内メールを何通も送ったりほぼストーカーみたいになる。

→その女性も岸本さんのアプローチに根負けし、まさかの結婚するまでに至る。

→それと同時期、かぐや姫の企画があまりにも進まないので高畑勲の助手をクビになり鈴木敏夫の宣伝プロデューサーの助手として「ゲド戦記の宣伝に明け暮れる。

ゲド戦記の公開後、やはり高畑勲の仕事がやりたいと申し出て再度高畑勲の元に戻った岸本さんは高畑に「この文芸作品のこの部分を脚本化してくれないか?」と言われ初めて脚本の仕事に携わる。

→この脚本化の仕事があまりにも楽しかった岸本さんは脚本書きたい熱を膨らませていく中、ちょうど宮崎駿が「借りぐらしのアリエッティ」の脚本家を探していたので志願する。

宮崎駿に脚本のダメ出しをされまくり、結局全体の脚本のイメージが完成してしまった宮崎駿が脚本担当する事になり岸本さんは降板される

→悔しい思いを引きずっていた時岸本さんの親が体調を悪くなり半年ジブリを休職。
その間親の介護をしながらシナリオ学校に通う。

→その後ジブリを退職し本格的にフリーの脚本家になる

→もちろんすぐに脚本の仕事があるわけではなく、当面は名刺代わりになる脚本を書き、色んな制作会社に送ったりしながら子育てをする。(奥さんはまだジブリで働いてます)

→その噂を聞いたはうさぎドロップのプロデューサー中武哲也は元々知り合いだった岸本さんを飲みに誘い、その場でうさぎドロップの原作をテーブルに出し「岸本さん脚本やりませんか?」と脚本を依頼。

→岸本さんは中武さんとは仕事仲間より友達という感覚でいたから自分が書いた脚本を送っていなかったので(実際には別のプロデューサーに見せてもらっていたらしいです)びっくりしながらも承諾するし脚本家デビューする。

 

と言う感じです。

自分では人脈に関してはすごく運が良いと言っていましたが、ノイタミナラジオを聞いているとすごく説明がうまいし引き込まれる話し方をする方なのでそんな所が魅力で人脈が広がっていったのかなと思います。

今後も岸本さんの脚本作品が発表されたらこのブログで積極的に紹介していこうと思いますのでまた読んでいただけると幸いです。